エッセイ・雑文 / 自選「創作日記」07/2002〜
2002年7月より2004年3月まで間に書いた旧『創作日記』の中から、
幾許か読む価値もあるのかも知れないと思われるいくつかの雑文を選び、
物によっては文章に手を加え、自分の無恥を顧みず再掲載することにいたします。
新しい長文などを執筆した際もこのページに掲載しています。
人物論
- ヴェーベルン(08/02/2002)
彼は最後に咲いた後期ロマン派の美しい花ではないだろうか - ケージ (08/07/2002)
彼は創作をアカデミックな行為に引き戻した功労者ではないだろうか - ドビュッシー (08/09/2002)
彼の音楽の優しさは人工物であるが故の優しさではないだろうか - グールド (08/14/2002)
彼のバッハはむしろバッハの精神に近いのではないだろうか - 川島素晴氏 (02/06/2003)
生徒は結局自分に必要なものだけしか受け取ろうとしない - 渡辺禎雄 (10/17/2003)
版画家…真の自己実現は忘我より始まる話 - 横光利一 (02/16/2004)
小説家…「第四人称」とは自虐的自我の正気=狂気ではないだろうか
芸術観
- 間 (08/10/2002)
西洋音楽の合奏の目的は全員一致などではあり得ない - 評論家 (08/21/2002)
その地域・時代に固有の聴衆の姿を代表する者 - 猿真似?(08/22/2002)
文化の精製の如何は蒸留水のそれのようには為し得ない - ソナタ形式? (11/07/2002)
固定概念はなかなか振り落とせるものではないという話 - 効果(1) (11/08/2002)
効果の本質を見極めることは音楽の本質を見極めることと同義である - 効果(2) (11/09/2002)
冷静な自戒がなくては効果ある音響を書くことは難しい - オネゲルの「悲観」 (01/28/2003)
彼が「悲観」する理由は、いつも作家の胸に巣食っている - 献身 (02/20/2003)
作曲家、演奏家、聴衆。すべては音楽に仕えるべき者たちである - 捨てる (03/06/2003)
自分を打ち捨てる道こそ、真の「前衛」の道である - 個性について (07/19/2003)
成長の途上においては「個性」を騙ってはならない。 - 商業音楽 (08/14/2003)
それは、他人の部屋を掃除するようなものである - 理解について (10/14/2003)
聴衆における音楽の成立要件は理解などではあり得ない - 表現への疑問 (12/06/2003)
世界の人の秋と思へば…感慨に耽るほどのものではなかろう - プロとアマ (04/05/2004)
プロフェッショナルとアマチュアの差異。そして「芸術家」