| 2002年10月11日 |
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あまり大きな口では言えないけれど、某若手有名演奏家の家では、彼の父親が息子の楽器の弦を張り替えてあげているそうな。…とにかく英才教育とは無縁に育った僕は、音楽家になるために親にしてもらったことなんて一つも無い。強いて言えば、ピアノを買ってもらったことと、大学の授業料を払ってもらったこと。それくらいだ。そのときにはちゃんと「申し訳ありません」と頭も下げてお願いしましたよ。元の取れない買い物させてごめんなさいって。そういう僕からみると、息子の楽器の弦を親が張り替えている画ってのが、相当奇妙に映るのだ。 そうそう、それで思い出したのだけれど、僕の友達のところに、「楽譜の書き方を教えて欲しい」と言って、高校生くらいの男の子がやってきたんだそうな。でも楽譜の書き方って、そんな複雑なモノじゃないわけですし、僕だって中学校のとき、普通の中学の音楽教科書の楽譜とにらめっこして、自分でヘ音記号の読み方とか覚えたもんですよ。で、その僕の友達は、別に教えるほどのことじゃないから、その話を断ったわけです。そしたら、その彼の親が出てきて、教えないってどういうことですか?だなんて詰問してきたらしい。 は?って感じですよ。ね。 こういう親たちを見ると、彼らにとって一番大事なのは子供の将来なのか、はたまた自分自身の見栄なのか、さっぱりわからなくなってくる。こういう種類の親のために最近では「公園デビュー」のマニュアル本まであるらしいですし。日本は平和ですねぇ。平和ブリにウンザリします。 ギャンブルってものには勝ち負けがある。ユダヤ人のヴァイオリンじゃあるまいし、この日本で音楽家なんてギャンブルな仕事を無理やりやらせようとする親の心理も理解できないけれど、まあ、そこは百歩譲ったとして、音楽家になろうとする場合、ギャンブルだから勝つこともあれば負けることも当然あるんだということを、教えない。なんか、あれですよ。そのうち大地震が来るんじゃないかとか思ってはいても、そのとき自分が死ぬんじゃないかとは思ってない。そんな感じ。あるいは、ギャンブルに勝った場合には隣には負けた人がいるってことも、教えない。ギャンブルに負けた場合には潔く負けを認める美学も、教えない。 こういう親のもとで育った場合、子供はどうなるんですかね。あ、いや、僕は一人実例を知っている。有名でもなければ、今後商売に値する才能も無い、要するにギャンブルには負けたけど、しかし言い訳だけはご立派な女がいました。ここの家は何をするにも母親がうるさい。娘が「やるべき」ことというモノを全て母親が提供して、あげくのはてに子供のけんかにまで顔を出してくる。本人は母親の教育どおり、人生には無限の可能性があって、努力すれば何でも出来て、がんばれば夢が叶うと、戦後民主主義のお経を必死にあげてらっしゃる。しかも、自分が理解されないのは、周りが、自分があまりにも出来るから嫉妬しているせいなんだとかほざいてやがる。その割には、本人は母親のことをかなり恨んでいるらしい。もう、わけわかんない。 巷ではこういう人のことをDQNと言うそうですが、それはともかく、この人は判断力も世間的な常識も著しく欠如しておりましたね。こういう人がたまたま成功したりすると「人と違う感じがいい!」とか「世間に媚びない感じがいい!」とかいうセリフのもとに礼賛されたりする。いやいやいやいや、それはちょっと待ってくださいよ。 結局、こういう親の心理とは、どういうモノなんだろう。子供の一生を親が全部保証することなんて出来やしない。うちの親には、自分の老後を息子は面倒見てくれそうに無いなんて諦めムードがヒシヒシと漂ってますが(笑)。それもともかく、親が弦を張り替えたり、子供が「やるべき」ことなんてモノを全部用意してしまったり、そんなことをして出来あがる娘や息子の人生なんて、ロクなもんじゃないと思う。要するに音楽大学なんて、ロクでもない娘や息子の溜まり場だと言うことだ。こんな場所に倫理を問うほうがオカシイ。 別に音楽家に倫理を要求する必要も無いし、音楽家は哲学書を読んだりマザー・テレサの伝記を読んだりしなきゃいけないだなんて当然思わないけど(それで演奏が良くなるんだったら誰でも読みますって)、しかし、どこに出ても恥ずかしくない礼節は必ずわきまえるべきであって、例の某若手有名演奏家が某ホールにやってきたとき、むすっと黙りこくって「なに、僕の名前も知らないの?」ってオーラを発していたそうな。(ホールの人が知らなかったらしい。)これはヤな感じですよ。なぜに三十路もとうに過ぎたサラリーマンが20になったばかりのガキにペコペコ頭を下げなきゃならんのだ。 音楽家であることはエライことでもなんでもない。農家様が作った野菜を食べさせていただいて、酪農家様が育てた牛を食べさせていただいて、東京電力様が発電した電気を使わせていただいて、しがない人生歩んでいるのであります。それでも芸術をやることが尊いのは、やっぱり芸術の喜びは人間の特権だからだ。だなんていうと、ちょっと話がわざとらしくなるけども。しかし、なにもかもが親がやって当然、自分はやらなくて当然、てな人間に、一体なにが表現できるんだろうか。いやいや苦労人だけが芸術を出来るだなんて、そんな浪花節な世界に芸術を貶めるツモリは無いけれど(苦労しただけで上手く弾けるならみんな苦労しますって)、やらされることだけやって育った人間が持っている思考能力なんて悲しいモノだと思うのだ。 家庭ってのは、どこの家庭にも問題がある。問題が一つも無い家庭なんて有り得ない。もちろん我が家にもある。でも我が両親は子供の教育に関してはスタンダードだった。やれとも言わないし、やるなとも言わない。勉強しろと言われた覚えは無いが、お百姓様に申し訳無いから米粒は一つ残らず食べなさいと口酸っぱく教えられた。箸の持ち方がなってない!とか。三者面談では、オヤジなんか「こいつがバカなことをしたら、思いっきり殴ってやってくれ」って教師に言ってたもんな。言われた教師もかなり引いてたけど(笑)。そういう親のもとに生まれたのは、今となっては、かなり恵まれているんだろう。だって今や、必要以上に教育に過剰反応をする孟母三遷を地で行く親と(そのくせ問うのは学校の責任だけで自分の責任は一切問わない人たち)、まったく教育に興味を持たない親(子供よりパチンコや他の男や、時には子供にかけた保険金のほうが大事な人たち)しかいない。どっちに生まれても、子供はペットだ。いやいや、ペットならまだマシか。 昔は子供を育てることが一つの立派な人生だった。バカでも良いから世間様には迷惑をかけることの無いような子供に育てることが一つの立派な人生だった。ところが、最近では子供を育てることが立派な人生ではなくなって、子供を放って、私は社会に出て仕事をしていくべき人間なんだとかほざく母親や、仕事も適当に家族サービスや家事なんかに気をとらわれている父親とか、そんなんばっかだ。自分で人生まっとうしてないくせに、子供には自分に出来なかった夢を託したがる。ときには、自分の仕事を辞めてまでも子供に付きっきりになったりする。おかしいって。そんなの。親が必死に生きてないのに、子供に大成しろと言うだなんて、あまりに道理が通ってない。 我が子といえど他人。他人の人生を歩むな。ってことですよ。例えばスポーツ選手に対して「夢をありがとう」だとか。おいおい、「お疲れ様!いいもん見させてもらった!」って言うなら話はわかるけど「夢をありがとう」と来たもんだ。夢ぐらい自分で自分のものを見ろよ。子供の親だったら、子供の人生くらい子供自身で考えさせるようにしてやりなよ。子供に親の夢を見させるなよ。ちなみに僕は自分のことは自分でやる主義だ。 |