| 2003年1月29日 |
…また、ときとしてはこの汚い絵の仕事が恨めしくなる。 ゴッホの言葉だ。認めたく無いけど、これは僕にも思い当たるフシがある。生まれてこの方、いっちょまえに恋愛劇を演じたことは、そりゃあ多少はあるけれども、一人の人間に没頭してしまった経験が無いのだ。唯一ソレらしい事例といえば、高校での平凡で微笑ましい恋愛か。「不純異性交遊」を厳格に禁じられていた学校だったけど、とても純に恋愛をしていたので文句を言われる筋合いは無い。ていうか、時効。 でもそれは「一人の少年の甘酸っぱい青春」であって、おあつらえ向きにビバリーヒルズ風味のドレッシングがかかっていた。ささやかで害の無い恋愛。それが没頭かと言われれば、ちょっと違う気がする。僕は没頭できない人じゃないことは自分でも知っている。でも恋愛だけは別だったと思う。要するに、自分以外のコトに興味が無いんだろう。それがナルシズムと言われれば、そうなのかもしれない。まあ河村隆一みたいに自分に酔ったことなんて無いけど。 自分が酒だったらどんなに良かっただろうかと思うことがある。残念ながら酒じゃないのだ。ガクトみたいに二日酔いに迎え酒みたいなことができたら、どんなに良かったことだろう。酒だったら相手を少しは酔わせることもできる。酔いは睡眠を保証する。でも、僕は残念ながら酒ではなく毒気なのだ。しかも自分でも年中その毒気に中っている。こういう毒は金庫に入れて人目につかない場所に置かなきゃいけないのである。お役所だってそう言ってらっしゃる。 こういう毒気に中った人を恋愛の相手にすると、どうやら「ひょっとして私なんかに興味ないんじゃないか?」という恐怖に陥るらしい。何度も言われた。そんなコト無いよ。と言っても、そして本当にそんなコトは無いんだけど、やっぱり不安は増大する物らしい。相手の顔を見ていても、僕の目は、どこか別の方向を見ているらしいのだ。そんなコトも無いよと反論したくても、こればかりは確かに反論できないかもしれない。でも、その視線の先に「別の相手」がいたりするわけではないのだ。誰もいないどころか、何も無いのだ。何も。 「彼女はいるの?」と、聞かれるけど、習慣上、『いやいや。いないよ。』と答える。「なんで?」『うーん…。』「彼女作ろうと思わないの?」『良く分からない。今は考えられない…。』「なんでー!?」『なんでだろ…。』「ひょっとして女の子に興味無いの?」『そうなのかも。』「わかったゲイなんだ!」『…それって安直な思考だと思うんですが(笑)』「へんなのー」『うっさい(怒)』 …世間では僕みたいな立場って理解されにくいのだろうか。 でも、そんなこと言われても、分からないモノは分からないので仕方が無い。みんな愛って軽々しく言うけどさ。僕には良く分からない。一人を愛したら四六時中ベタベタくっ付いていたくなるものだろうか?だとしたら、僕はちょっと勘弁。そこまで愛なんて信じてないし、そもそも僕は、ひとりでいる時間が無いと窒息してしまう。ひとりでいて淋しさを感じることもないし、人生を決めていく上で誰かが隣にいたことなんて一度たりとも無かった。自力で自由を得ることと、愛は、時として反対語になることさえある。と、僕は心のどこかで思っている。 結局、他人が他人を理解することなど無理だと僕は考える。相手の人生は一晩や二晩考えただけで理解できるほど軽いモノではない。一瞬で理解できるほど軽い人生送ってるヤツも中にはいるが、それは論外。よって、愛は理解にあるとは言えず、時には誤解が愛を育むことさえある。優しさって根本的にウソじゃないだろうか。自分の利益を曲げて相手の利益を優先してあげることが優しさじゃないだろうか。だとしたら、人に優しくするってことは、自分にウソをつくってことだ。でも、何もウソは倫理的な悪ではあるまい。僕はそう信じている。 僕は一体、「自分の愛する相手」に何を望むんだろう。ひょっとしたら何も望まないのかもしれない。自分にあれこれ要求をすることは得意だけれど、相手にも要求を突きつけるのは得意じゃない。そして相手は相手で、いつまで経っても酔えないものだから不安になる一方。こんな男を彼氏にしようモノなら、疲れることは目に見えております。って僕が言葉で言うまでも無く、曲を聴きゃあ疲れる人間だってのは一目瞭然かと。結構哀しい男なのかも。 でも、自分が走り疲れて、お茶でも飲んでいるときに、誰か傍らにいてくれれば、僕はそれだけで充分満たされてしまうかもしれない。できれば、自分の脚力について来れる人がいい。それを望むことすら、僕は今まで自分の倫理で律してきたけれど、少しは規制緩和してもいいんじゃないか。と、思った。ええ。センチメンタルな気分なんですよ。最近。似合わないとか言わんといて。知ってるから。 |