表現への疑問
世界の人の秋と思へば…感慨に耽るほどのものではなかろう

2003年12月6日

すみやかに世を逃るべし。ただ山林に隠るばかりを隠るとはいふべからず。大隠は市中にあり。我汝に教るも、世界の人情をしりたる上にて、世を滑稽の間にさけよと教へしに、汝物にふれて心動きし故、却って難儀なる事度々に及べり。世の人、物の為にとろかさるるが為に、我が身をそこなひ家を破。何事もなづめば害あり。  
(『風流志道軒伝』 平賀源内)
昨日考えていたことと今日考えていることでは、それほどの差は無いように見える。ところが、これが一年二年と経ってくると、ちょっとどころか結構違っている。五、六年経つと、もう見る影も無く、まるで違ってしまう。あの頃着ていた服は一着も生き残っていないし、髪型も何回か変わっているし、何十回と部屋の模様替えもしている。まあ毎日の凡そ半分は作曲のことを考えている生活ペースは変わっていないわけだけれども、それでも肝心の中身は結構違ってきているので、当然、僕の作品リストにもそれが反映されているわけである。

作曲を始めて間もない頃、僕は音楽とは感情の発露以外の何物でもないと思っていた。音楽とは表現でなければならず、自己主張でなければならず、感動で、精神性で、とか何とか、まあそういう種類のものでなければならないと信じて疑っていなかった。感情的な勢いとか雰囲気とか空気で作曲していたし、ちょっと分かったような種類の発言を嫌悪していた。どちらかというと熱情的で、攻撃的な人格であった。それもこれも高校生特有のナルシズムの故であり、若さはナルシズムの母で、ナルシズムは表現の母である。詩を書きたがらない17歳は却って病気でもある。だからこそ当時には目的というものがあったし、その目的は完璧に明文化できた。文学的な素材で音楽を考えることが好きでもあった。

今の僕は表現というものをそれほど信用していない。もちろん世の中には精神的な熱狂としか呼べない種類の音楽が沢山あるし、そういう種類の音楽を深く愛している。僕がアラブ音楽を偏愛しているのは、その音律よりも熱狂性に熱狂しているからである。僕はウム・クルスームの歌のあまりのメッセージ性の大きさに打ちひしがれるし、彼女のコンサートを聞きに来ていたアラブ軍将兵がすっかり聞き惚れてしまったためにイスラエル軍の急襲に耐えられず、そのまま第三次中東戦争に負けてしまったなどというエピソードは、古今東西の音楽にまつわる美談の中でも最上級に属するものであると固く信じている。まったく、音楽を聴いていたら戦争なんて馬鹿らしくなってくるはずであり、意図的ではなくとも彼女は音楽で戦争を止めてしまったわけである。このようなエピソードを素晴らしいと思わない人を、やはり僕は信用できないし、イスラエル軍より強かった彼女の音楽の強さに羨望を覚えない人を、やはり信用するわけにはいかない。基本的に今でも僕は、こういう暑苦しいことが大好きである。ヤナーチェクとか大好きである。ビリビリに楽譜を破いて川に捨ててみる、とか、沼に捨ててみる、とか、暖炉で焼いてみる、とか、そういうの大好きである。

しかし、逆にこういった音楽を愛すれば愛すほど、安楽な国に腑抜けた顔をして生きている自分にどれほどの表現が出来るものだろうかと疑問に思えて仕方ないのだ。僕は今、実際に生きるか死ぬかの瀬戸際を生きていない。金が無いと嘆いている割には国連開発計画が言うところの貧困層に属してもいない。わが国には髪形も口も大層お安く仕上がっている首相がいるだけで、ナセル大統領のような指導者はいない。僕は晩年ではないし、娘は死んでないどころか生まれていないし、カミラという女性に600通もの手紙を送った経験だって無い。それどころか女子供に妙に冷たいとは世間の専らのウワサである。だからこそ今の僕は表現という言葉を逃げ口上の常套句としてしか考えていない。なんでこんな音を書いたの?と聞かれたとき、私はそう思ったの。とか言えれば、これは結構楽ではないか。僕は、そのような思考を回避する程度にはナルシズムという母親から親離れして育っていることを自負している。僕は人様の表現を信じていないのではなく、自分の表現を信じていないのである。つまり徹底して相対主義の視点を身に付けること。現在においても、下記のような作品の作法は実に様々な教訓を我々にもたらしてくれるのである。
文に曰く浮世は夢の如し歓をなす事いくばくぞやと。誠にしかり、金々先生の一生の栄華も邯鄲のまくらの夢も、ともに粟粒一すいの如し。金々先生は何人ということを知らず。おもうに古今三鳥の伝授の如し。金ある者は金々先生となり、金なきものはゆふでく頓直となる。さすれば金々先生は一人の名にして壱人の名にあらず。神銭論にいわゆる、是を得るものは前にたちこれを失ふものは後にたつと、それ是、これを言うかと云々。
(『金々先生栄華夢』 恋川春町)
僕は音楽の持つ衝動性や肉体性などに依存することを注意深く避けるよう特に心がけている。なぜならば、それは求め続けていなくとも信頼関係さえあれば損なわれる性質のものではないからである。例えば僕が結局パフォーマンス的な要素を試してみるも、すぐさま捨ててしまったのは、単に自分の美意識にそぐわなかっただけでなく、音楽はあくまでも耳への信頼から始まると深く確信するからである。(このことと、演奏家の肉体性を尊重することとの間には何の関係も無い。)視覚的な刺激は感性に刺激を与える保証にはならない。他にも別の詳細な例を挙げるべきだろうか。これらは、音を聞くことが音楽を聴いていることの保証にならないのと全く同様なのである。

不思議なことに、耳も肉体の一部であるにもかかわらず、耳はなかなか言うことを聞かない。耳に依存しようと思えば思うほど、そこには職業的訓練が必要不可欠になってくる。音楽の語彙を拡大することに一義を見出した時代の後続世代として、再び耳への専門的な依存を強固に求めても良いのではないだろうか。つまり、耳を相手に駆け引きを行い、耳だけを驚かせようとし、耳だけには聞こえないように答えを隠し、耳だけを茶化して騙し、耳だけに辛く当たり、耳だけをチヤホヤと喜ばすよう仕組まれた作品。ちょうど春町が「金々先生」を書くのに「邯鄲」が必要であったように、こうした考えを具現化するにあたり、僕には、誰でも知っていて簡単に把握できる形式と、専門家ではない誰の耳にも即座に受け入れることができる音響が必要だったのである。楽器の奏法に依存する特殊な音響はその存在の朴訥さゆえ耳との駆け引きには向かないことを悟った。どこまでを「特殊」というかという問題もあるが、最近では弦楽器のパートにピチカートすら出てこなくなってしまった。黄表紙の設定も単純なほど良く、パロディーする原話は有名なほど良いとされる。もちろんパロディーにする事それ自体が目的なのではない。それは偏に耳自身の思考の連動のためであり、安定し確立した形式と音響の下においては安心して邪悪なパズルを作品の中に組み込むことも出来よう。僕の作品を聴いてニンマリと笑う人の数を草葉の陰から指折り数えるのが僕の最近の趣味となった。または人道に落とし穴を掘って手薬煉引いて人が落ちるのを待ってもいるのだが、最近は車道を歩く者が多くて落ちてくれないので困る。僕は「ピアノ三重奏曲第三番」を作曲しているときに完全にこのような立場に立っていたのだが、このように文章で説明できるようになるには些かの時間が必要であった。

「クプコヴィツ、グレフ、ベッタ、そして西澤と、四世代に渡るセミ・クラシシスト全てが、セミ・クラシシストとは限らない同時代の作曲家から教えを受けた後に、自己の語法をセミ・クラシシズムに求めた。それは機能和声法を駆使することすら前衛の駒の一つであったという証拠にもなりえよう。セミ・クラシシズムに鉱脈があるのではなく、作曲家一人一人がセミ・クラシシズムに鉱脈を発見できるかどうかなのである。」

無断の引用を申し訳なく思うが、先日の野田氏のリサイタルの解説では上記のような一文が付加されていた。これこそまさしく我が意を得たりというところである。当たり前の話であるが、現在を否定して、昔の音楽はこれほどまでに良かったというような論旨の展開は稚拙でしかない。片方を否定しなければ主張できない良さなど陳腐なものだし、そのような意味でセミ・クラシシズムを展開するのは、それは全く意味の無いことであり、僕自身だって魅力を感じない。しかし、今現在何が前衛なのかという考察抜きに徒に機能和声法を笑うのなら、これは単なる認識不足でしかなく害毒でしかない。今や誰もが尊敬するジョン・ゾーンは、その昔、音と音楽との間に関係は無いのだと力説していなかっただろうか。絶対的に自由を保証するならば、自由に保証されない自由も保証するべきである。それに、そもそも形式を用いることと形式主義とは違う。型に従っているように見せつつ逸脱も固定も回避することは可能であり、このような感覚は、むしろ我々の民族の祖先が得意としていたところである。かつて小泉八雲は「日本の伝統の話を聞いていると、崖っぷちに沿って細い道があって、次々と折れ曲がる都度に道があるが突然、先が無いところに出くわす」と言っている。このような血を思い出さないのは、まったくの損失ではないだろうか。

芸術が芸術になってからというもの、実に多くの提案を芸術は人生に対して行った。それらの中には実に崇高なものも含まれている。作曲家は日夜頭を悩ませ作品を書き、ドビュッシーの言うように昨日の不協和音は今日の協和音となって、瞬く間に情報は世界の共有財産となり、そんな情報を逐一集めているコンクールを控えた作曲家の卵は「未聴感ってなに…?」と言って五線を前に更に日夜頭を悩ませている。僕は今までも個性や自己主張や表現、自己実現など、要するにそういう種類のものに対して否定的な発言をしてきたけれども、それは作曲家の労力の殆どを自己主張に奪われてしまうことを危惧するゆえである。私は八百屋。私は大工。私は泥棒。かつて我々は服装でそれを証明していたし、証明できた。しかし現在の我々は服装だけで職業が判断できる社会に住んではいないのである。見た目では何者か分からない。それなのに、自分が何者であるのかを主張することを社会から強いられる。これらはすべて矛盾してはいないだろうか。もちろん僕は階級社会を復活せよなどという馬鹿げたことを主張しているわけではない。もっと別の、作曲家がスタートを切るべき美学上のラインがあるのではないかと言っているのである。いくら目立つとは言え、富士山のような単独峰ではエベレストの高さになれるものではない。執着に執着する以上、今日の不可能は明日の可能性というアイヴズの言葉を我々は本心から繰り返すには至れないのではないだろうか。

果たして芸術家としての自我とはそんなに尊いものだろうか。作曲家は与える立場であると誰も疑問を持たずに思っているが、しかし本当は受け取り保存する立場であるかも知れない。どこかの浄瑠璃の文ではないが、所詮は芸事の人間は裏門から出入りするような謙虚さ、あるいは自虐性ともいうべきものが、芸術家から消えてはいないだろうか。「おれは大きな面して高慢なことをいふやつをば、ぐつといぢめたくてならぬ。とかく世の中は茶なことでなければ、おもしろくないよ」と山東京伝は書いている。今の僕はこの意見に喜んで賛同する。だから、本当は、こんな風に主張している文章を書くのも、もうなんだか面倒くさいし野暮ったいので嫌なのである。大演説をぶるときには、せめて「我は金毘羅大権現の再来なり」とブチかます宮武外骨くらいの愛嬌は持ちたいものだと思うが、流石の滑稽記者と比較されては、僕が文章に込められる愛嬌の量はあまりに少なく、少々しょげているところなのである。



…ソプラノサックスソナタの清書をしつつ毎日書き足していたら、随分な分量になってしまった。しかしまあ、この文章に源内や黄表紙を引用していることでニンマリと出来る人は、相当な食わせ物というべきでありましょうな。ちなみに僕は左翼的な意味で戯作を理解してはおりませんし、そんな興味もございません。反権力とかどうでもいいです。僕の偽らざる心境は、最初に引用した源内の志道軒伝の中の「誠の道を以ってするとも」という一節に集約されております。ヒマだったら探してください。

目次